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「【ぶっちゃけ☆】生命保険業界と会社の特徴」

更新日:

チューた
チューた
「保険会社の歴史」なんて考えたこともなかったな
日本で「保険の仕組み」ができたのはいつなんだろうね
ぶうや
ぶうや
チューた
チューた
昔の人は保険が無かったのかな?
それだときっと困る人もいたよね
ぶうや
ぶうや
チューた
チューた
色々な「失敗」が生かされて今の「保険」があるんじゃない?
良いこと言うね!!
ぶうや
ぶうや
チューた
チューた
せっかくだからぶっちゃけ☆さんに聞いてみようよ!

こんばんは!

ぶっちゃけ営業マンのぶっちゃけ☆です!

今日は「生命保険の業界の話」と、「保険会社の特徴」について話していきたいと思います。

保険会社の歴史を多少でも知っておけば、保険の加入の選択においてより良い判断が出来ると思います。

では行きましょう!

「最初の保険は?」

日本で保険が出来た経緯を話しますと、近代で一番最初に出来た「助け合いの輪」は1879年の海上保険でした。

これは分類すると「損害保険」になりますが、保険会社で良く聞きますよね、○○海上保険会社、という名前。

私も昔は海上って何?と思っていましたが、名前の由来を聞くとなるほどと思えるものでした。

徳川幕府が大政奉還をした後の明治維新の頃、日本では徐々にカンパニーが出来、貿易が盛んになり、物資を船で運ぶことが多くなりました。

当然当時の日本には海上保安庁などありませんから、船で物資を運ぶ途中、物資に目を付けた海賊達が船を遅い、せっかくの積み荷を奪われることがありました。

船を襲われてしまえば損害によりせっかくの利益も得られなくなり、また相手には賠償をする必要が出てきました。

そんなことが続けば会社は破綻してしまいます。

そこで出来たのが「海上保険」というものでした。

加入した会社どうしで助け合う「助け合いの輪」がこの頃生まれたのです。

「生命保険は?」

生命保険会社が最初に出来たのは1881年でした。

保険制度は中世のヨーロッパにあった共済制度などが日本に入ってきたと言われているようで、最初はなかなか一般人に理解されるものではなかったようです。

日本では保険会社の数は一気に増えましたが、1904年の日露戦争の遺族に保険金が支払われたことで徐々に必要性が理解されていったようです。

「大手生命保険会社の生保レディの誕生」

40社以上の生命保険会社と、そこから派生する200以上の生命保険の仕組みが競合する中、大正時代末期には大手5社に契約が集中していくようになりました。

第二次世界大戦が終わると、男性の求人募集が困難だったこともあり、生命保険会社の女性の大量採用が当たり前になっていき、数で契約を取っていく時代となっていきました。

「死亡保障から医療保障へ」

戦後の日本人の貯蓄体質もあり、日本は保険大国と言われるまでになりました。

そして徐々に積み立ての死亡保障に医療保障を特約(オプション)として付けた保険が生まれました。

医療保障が出来ると、海外の保険会社が日本に入り、各社競合するようになりました。

また積み立ての終身保険もカタカナの外資系生命保険会社が台頭するようになりました。

そしてそれに対抗すべく日本の大手生命保険会社は定期付き終身保険、いわゆる10年更新の保険へと形を変えていったのです。

「バブル期とバブル崩壊後の保険会社」

バブル期の保険会社はとにかく契約を増やし、預かったお金を高い利率で運用し、大きな利益を上げていました

ところがバブル崩壊があり、低金利が長引いたことと株安によってどんどん業績が悪化しました。

生命保険は契約時に約束した利率で必ず支払うため、約束した利率よりも運用利率がマイナスのいわゆる逆ザヤ状態が続きました。

保険会社も約束の利率をどんどん下げていきましたが、それ以上に運用利率も下がっていったため、結果的に約4年間で7社の保険会社が破綻することになりました。

「お客様保護の仕組みが生まれる」

バブル崩壊後に保険会社の破綻が続く中、お客様保護の仕組みも生まれました。

それが「契約者保護機構」です。

それ以降は保険会社が破綻すると救済措置をとり、救済する保険会社が現れると、引き受けの保険会社が株式を取得する事により、破綻後も契約自体は有効になりました。

しかし、貯蓄性の高い保険は利率が時代に見合うものに下げられるため保障が大きく削減され、一方で掛け捨ての死亡保障や医療保障はほとんど影響を受けませんでした

「損保系生保の参入!」

1996年、金融ビッグバンという金融の自由化により、保険業界も大きく変わりました。

それまでは損害保険の会社は生命保険の会社を作ることが出来ませんでしたが、この金融の自由化で損保系生命保険会社が生まれました。

バブル崩壊を経験している保険会社はお客様との約束の金利以上の運用が出来ない逆ザヤが続き不良債権を抱えているのに対し、不景気後に参入した損保系は不良債権を持たないため財務体質も良く、様々なニーズに応える多様化した商品が生まれました。

また、もう一つ大きく変わったのが「乗合代理店」が生まれたことです。

乗合代理店とは、複数の保険会社の商品を取り扱える、よくテレビコマーシャルでやっているところの保険の○○、という数社から数十社の保険会社を取り扱える代理店が生まれました。

これにより、保険会社は各社競って商品開発をしていきました。

「大手生保会社が保険会社を作る時代」

そして政府の「マイナス金利の導入」の背景もあり、これまで自動更新の商品主体であった大手生命保険会社が、一生涯使えるの終身保険タイプの医療保障を中心に商品開発する「保険会社」を作っていっています。

今後ますます競合していきそうですよね。

その一方で販売チャネルも大きく金融庁の規制が入り、販売する代理店もいままで以上にしっかりと適正に、お客様に合った商品を販売していくよう質を求められてきています

今後はそれらをきっちり出来る代理店が生き残っていく時代ですね!

 

ということで、今回は生命保険会社の歴史を含め、商品の仕組みが生まれてきた経緯などをお話ししました。

皆さんの生命保険検討のお役に立てれば嬉しいです☆

次回は「なぜ長期入院できない?医療費と医療保険」についてお話します☆

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました☆

ぶっちゃけ営業マンのぶっちゃけ☆でした!

おやすみなさい☆

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